40代、われは主婦なり伸びんとす。

感受性やや強め40代のゆるらかブログ。

しごとのはなし。②

前回の「しごとのはなし。①」の続き。
理由はないが、自分の職歴をつらつらと書き(打ち)残している。


次に就いたのは、靴屋さんだった。
エステからの変わりように驚かれるが、これは私がやってみたかった仕事だった。

朝から晩まで10時間以上立ちっぱなしで、かなりブラックな接客業ではあったが、最高で1日100足近く売上たりすることもあった。
営業時間が終わる頃には疲れを通り越してハイテンションになり、まだまだいける!!なんて思う程の達成感のあるものだった。
全く売れない日もあったが、そんな日は色んな靴を試し履きして、どうに紹介するかを考えたり、買ってもらえるようなメッセージのポップを作ったりと、ワクワクする毎日だった。


そして、接客業は様々な出会いもある。

試し履きをしているお客様が、私に靴紐を結んで欲しいと頼んできたので言われたとおりに結んであげると、御満悦でそのまま履いて帰ると会計に直行。
そして置き去りの履いてきた靴は、捨てておくよう頼まれる。
半年以上経った頃、私が結んだままの靴紐の状態でそのお客様が来店する。
「あんたが結んでくれた靴紐、崩れなかったよ。また頼めるかい。」と

こうゆう何気ないやり取りも、やりがいに繋がった。


しかし、仕事は遊びではない。
当たり前だが、大変なことも山のようにある。

1つの店を経営するとは本当に大変なことだ。
どんなに素晴らしい商品も、とにかく売れなければ意味がない。仕入れの失敗は命取り。
逆に、機能性もなく一時の流行りのような商品が何も言わずともバンバン売れたりする。
時代を読む力や、柔軟性が問われる仕事。

自分に嘘がつけない性格のせいで、そんな所にストレスを感じるようになってしまった。
若さ故か割りきれない自分と戦うことが増えていった。

そんな裏側が見えてきた頃、チーフから昇格の話をされた。
この靴屋は、最初は時給制の契約社員からスタートし、ご縁があれば月給制の準社員になることもあるという仕組みなのだ。そこから正規の社員になる人も居るようだった。

正直、すでに違和感を感じ始めていた自分に、責任を持って仕事をする自信はなかった。
売上だけ考えてうまく仕事をすれば良いのは分かっているが、自分が信じきれず怖かったのだ。


結局昇格は断り、その後間もなく辞めてしまった。


辞めたことに後悔は何一つしていない。
またひとつ自分を知ることができたから。


私は履き心地の良いスニーカーが好きだ。
革靴も良い。とにかく履き心地の良い靴は最高。

いつから好きになったのだろう。
オシャレというものに目覚めた頃から、TVや雑誌を見ていると芸能人やモデルさんの靴に目が行ってしまうタイプだった。

シンプルな服にド派手な靴、とか、フリフリのドレスにスニーカーとかブーツのように王道じゃないスタイルが好きだった。

中学の頃、年配の弱々しい男の先生がスーツにスニーカースタイルだった、それだけで好感を持ったのを覚えている。

小~中学生の頃は、スニーカーなら、CONVERSEのオールスターのハイカットやジャックパーセルにワンスター、adidasのスーパースターやスタンスミス、ブーツはドクターマーチンみたいに自分の中で決まりがあった。

そんな私が、人生で1度だけ履きたくもない靴を履いていた時期がある。

あれは私が学生の頃、厚底の靴がとにかく流行った時期があった。
履いていないと非国民くらいの割合で若い女の子が厚底のブーツやスニーカー等を履き、街中を歩いていた。
私もその流行りのど真ん中の世代だったため、避けては通れないでいた。
いや、時代に負けたのだな。

ソールは最低でも10㎝はあり、転んで捻挫をする人も居るくらいの靴だった。
今思い出しても異様な格好。


その反動か?靴屋で働くようになってからは好きなスニーカーを年に数足は買った。
new balanceの魅力を知った私は、一足数万円するような靴を躊躇なく買った。

1日10時間以上立ちっぱなしでも脚が疲れないことで本物の素晴らしさは証明された。

それから、仕入れの時に私がカタログから選ぶ靴は、いつもクラシックな物を選んでしまうことも自分を知るキッカケになった。


色々あった数年ではあったが、あの時、飛び込んで良かったなーと今でも思う。
当時買った靴達は、劣化とともにサヨナラしたり、欲しそうな人にあげたりしてしまったから、今やほとんど残っていないが...
私の生き方をあらわしているな~(笑)