超聴覚
大人になってから知ったのだが、超感覚という言葉があるらしい。
そして、私はその中の超聴力の持ち主らしい。
(ある人から言われ、超聴力者のチェック項目を調べたら100%当てはまった)
何ら特別なことではなく、人それぞれ何の感覚が優れているか、敏感か、とゆうだけのことなのだが、現代の人間はその感覚が鈍っていることが多いらしい。
私は、人の声(音)からその人の性格やら体調やらが分かる等の感覚は昔からだが、それに加え小さい時はとにかく大きな音が苦手で、母が散歩に連れ出すと怯えて泣いてばかりいる子だった。
自分の嫌いな声もハッキリしていて、その人には近付けなかった。
小学生くらいからは、バイクや車が自分の近くを通るのが嫌過ぎて大通りを通らないように路地裏の車が通れないような細い道を選んでは歩いていた記憶がある。※これは現在も
サイレンや飛行機、人の話し声なんかもやたら近くで聞こえるので、聞きたくもないのに意識が持っていかれてしまうことも多いのだが、逆に物音ひとつしない部屋だと今度は耳鳴りが始まり、きっとこの世のものではないであろう音や声が聞こえてしまうのだ。
自然災害が起きる前になると、耳鳴りが始まるし、
不調も耳から来ることが多く、中耳炎や炎症、それから眩暈なんかも起きやすい。
大人になって大分慣れて良くなったとは思うが、やはり音は怖い。
話している相手の声で本心か否かも分かってしまうし、社交辞令なら受け流せる(ようになった)が、思っても居ないようなことを、真面目に、もっともらしく発言されると違和感で愛想笑いさえできなくなってしまう。
そしてそれを聞いていると疲労感が半端じゃないので関われなくなってしまう。
例えば学校の先生や権力者のありがたーいお話が全く心に響かないのはこれだと思う。
子どもは皆感性が豊かだし、自然と目に見えない部分で話を聞いているはずなので、私と同じ現象が起きているのだと思う。
そんな私が逆に落ち着くのは、
・小さな音で優しい音楽が流れている。
・好きな声の人と話している。
・心から安心して眠っている小さい子どもや動物の寝息の音を聞く。
・遠くから子どもたちの歌声が聞こえる。
・風鈴や鈴の透き通った音色が小さく聞こえる。
こんな環境である。
超聴力だけでなく、超視覚や超嗅覚等様々なものがあるようなので、今後カミングアウトしてくれる人とお話できる機会があると楽しいだろうな..なんて思う今日この頃。
人生、好きな人好きな物好きな音に囲まれて生きていくのが1番だー!!