40代、われは主婦なり伸びんとす。

感受性やや強め40代のゆるらかブログ。

「今」を生きろ。

宇宙では過去と現在と未来は同じ時間軸の中にあるらしく、直ぐにどこにでもアクセスできるらしいのだが、やはり大切なのは「今」であることは変わらないらしい。

昔から「将来の為に」とか「老後楽する為に」と、見ることの出来ない未来の為に、苦しみもがきながら生きていくというスタイルが常識だと植え付けられてきたように思う。

今の苦労が将来必ず役に立つ。
私もそうに思っていた1人だし、実際過去の経験に沢山助けられているのも事実。

しかし、宇宙からの視点は少し話が違うようだ。

それは、「今」が楽しくない時点で、過去も未来も楽しくないというのだ。
全ては波動や波長の世界。
苦しい辛い悲しいの波動は過去や未来に波紋のように拡がり、全てを苦しく辛く悲しいものに変えていく。

つまり、「今」波動を高く生きていると未来は明るくなるのだ。
これは、楽しいという思いが、過去を楽しい思い出とし、今楽しい現実を見せ、楽しい未来になる行動を引き寄せるということ。

そして、今を楽しくする方法として、選択を迫られた時に、どんなに小さなことでも自分が納得する方を選ぶということを実践すること。

生きていると、どうにもならない現実や、不運だと思うような出来事が目の前にやってくることがある。
そんな中でも「自分が納得できる」を選んでいくことが素晴らしい未来を引き寄せていくらしい。

宇宙に善悪はない。
幸せと感じることも人其々。
苦しむ経験も人其々。

泣いている人は泣くことを選択し今を生きているだけ、笑っている人は笑うことを選択し今を生きているだけ。
泣いているから可哀想で笑っているから幸福なのではなく、その人が選択し作り出した現実で生きているだけ。

辿り着く先は大きな愛。
本当は誰もが知っているんだ。
色んな経験して命を全うする。
経験こそ宝。
人の経験の邪魔をする権利は誰にもない。
周りがとやかく言うのも、その人の為とかではなく、いつかの辛かった自分を慰めているエゴ。
本当は可哀想なんて言葉は無いのかもしれない。
選択する自由。
泣く自由。
笑う自由。

愛で今を生きていきたい。

心配は黒いエネルギー。

うちの両親は、私が小さい頃からとてつもなく心配性で過干渉な親だった。

「お前の為に言っているんだぞ」「心配だから」「お前じゃ無理だからやめろ」、etc.

また、その心配の仕方は怒りを向けられた時と似ていて、何とも重苦しく嫌な気持ちになるのだ。
気持ちがルンルンしていたのが一気に不安や
恐れに襲われるような感覚だ。

大人になってから知ったのだが、
「心配は愛ではない」らしい。
むしろ、ドス黒いエネルギーだから、その人の足を引っ張ったり良くないことを引き寄せたりと悪いことだらけだそうだ。

私のハイヤーが教えてくれたのだが、心配して怯えさせるというのは、その人のことを全く信用していないか、思い通りにしたいというエゴかどちらかの気持ちが働いているらしい。

確かに何の心配もせず頼ったりする時って、その人のことを心から信頼しているのではないだろうか。

ここで思い出すのは幼少期のこと。
「ゆるらかちゃんなら、大丈夫だよね。」と言ってくれていた先生達。
私の中では、放っておかれているとか、私には興味がないんだろうと勘違いしていたが、案外そうでもなかったのかもしれない。

家では過干渉でぐるぐる巻きにされ、外では野放しにされる。
よくよく考えたら物凄く極端で頭が混乱する状況だが、何故だか無事に精神崩壊することなくやってこられたことに感謝感謝。。

根拠は無いが、小さい頃から自分は大丈夫という自信があったのだが、大人になって責任がのしかかってくると、ブレてしまうことがある。
皆そうなのか?

次々と変化していく世の中、ブレさせようと揺さぶってくる出来事はバンバン起きるだろうけど、自分の中にある直感や感覚を信じてブレずに楽しく生きていきたいものだ。

超聴覚

大人になってから知ったのだが、超感覚という言葉があるらしい。
そして、私はその中の超聴力の持ち主らしい。
(ある人から言われ、超聴力者のチェック項目を調べたら100%当てはまった)

何ら特別なことではなく、人それぞれ何の感覚が優れているか、敏感か、とゆうだけのことなのだが、現代の人間はその感覚が鈍っていることが多いらしい。


私は、人の声(音)からその人の性格やら体調やらが分かる等の感覚は昔からだが、それに加え小さい時はとにかく大きな音が苦手で、母が散歩に連れ出すと怯えて泣いてばかりいる子だった。
自分の嫌いな声もハッキリしていて、その人には近付けなかった。

小学生くらいからは、バイクや車が自分の近くを通るのが嫌過ぎて大通りを通らないように路地裏の車が通れないような細い道を選んでは歩いていた記憶がある。※これは現在も

サイレンや飛行機、人の話し声なんかもやたら近くで聞こえるので、聞きたくもないのに意識が持っていかれてしまうことも多いのだが、逆に物音ひとつしない部屋だと今度は耳鳴りが始まり、きっとこの世のものではないであろう音や声が聞こえてしまうのだ。

自然災害が起きる前になると、耳鳴りが始まるし、
不調も耳から来ることが多く、中耳炎や炎症、それから眩暈なんかも起きやすい。


大人になって大分慣れて良くなったとは思うが、やはり音は怖い。
話している相手の声で本心か否かも分かってしまうし、社交辞令なら受け流せる(ようになった)が、思っても居ないようなことを、真面目に、もっともらしく発言されると違和感で愛想笑いさえできなくなってしまう。
そしてそれを聞いていると疲労感が半端じゃないので関われなくなってしまう。

例えば学校の先生や権力者のありがたーいお話が全く心に響かないのはこれだと思う。
子どもは皆感性が豊かだし、自然と目に見えない部分で話を聞いているはずなので、私と同じ現象が起きているのだと思う。



そんな私が逆に落ち着くのは、

・小さな音で優しい音楽が流れている。

・好きな声の人と話している。

・心から安心して眠っている小さい子どもや動物の寝息の音を聞く。

・遠くから子どもたちの歌声が聞こえる。

・風鈴や鈴の透き通った音色が小さく聞こえる。


こんな環境である。


超聴力だけでなく、超視覚や超嗅覚等様々なものがあるようなので、今後カミングアウトしてくれる人とお話できる機会があると楽しいだろうな..なんて思う今日この頃。

人生、好きな人好きな物好きな音に囲まれて生きていくのが1番だー!!

さぎのはなし。

「詐欺」

私の人生には縁が無いと思っていたフレーズ。
直ぐに人を信用してしまう性格だが、小さい頃からの感受性の豊かさのお陰で「悪人は直ぐに分かるし、悪人からも私には近づいて来られない」というのが今までの通常だった。

しかし、悪人は近づけないが、善人が善意で近づいて来たとしたらどうだろう。

そう、私は、仲良くしている知人経由で詐欺にあってしまったのだ。

損害金額は150万円くらいだろうか。

よくあるネズミ講とゆうやつだ。
まんまと引っ掛かった。
自分がブレていたのかもしれない。
世の中の不労所得ブームに踊らされていたのかもしれない...。


経緯はこうだ。

最初は、美容や健康食品関係の商品を仲の良い知人にすすめられた。
美容液やクリームは、過去エステに僅かながら関わったことのある私にも、良い商品だと分かるものだった。
健康食品も、他社にはない新成分で、身体の内側から良くなるという謳い文句だった。
知人は、試供品として沢山の商品を使用させてくれたのだが、今までそこまで高い商品を使っていない人間にとっては素晴らしい商品に思えた。

次に、この商品をもっとお得に買う方法を勧められた。どうせ毎月使うなら割引で買った方が良いじゃないかと。

その関係で、どんな会社なのかという説明を受けた。
会社のオーナーは、莫大な資産家であり、儲けなんて一切考えておらず日本人を元気にしたい一心で仕事をしている人。
様々な大学や企業の研究チームをバックアップしていること。
海外とのやり取りが盛んで、国単位で商品を売買したいとオファーがきていること。
もしも加盟店になれば、自分で購入した商品が割引になるだけでなく、会社全体の利益から分配があること。
今入らないと権利がどんどん値上がりするので、手が出せなくなること。

これにプラスして、様々なパンフレットや講義を見せてもらった。

今までの私なら、そんなもので心は揺らがないはずなのだが、何故か....揺らいでしまった。

その知人も、同業者の方から教えてもらったとのことで、その人と会って話を聞くように言われた。
(ここから既におかしい)

その人の説明によると、
加盟店になるには、初期費用として1口30万円必要。(初期費用といっても、その会社の商品と引き換えになるので買い物のようなものだと言われた。)
加盟店は1口につき毎月1万円の購入が必要。(それを継続しないと加盟店の権利を剥奪されるらしい。)
そして、登録口数が3口あれば分配金の率が高くなるので、2年も経てば働かなくても良くなるくらいだと言われた。(月数十万円の分配金が入るので。)
毎月商品をどうせ買うのだから、何も損はないし、今後は世界に目を向けないとと、力強く言われた。

セミナーにも行かされた。
新商品の紹介や、オーナーからの話があるからと、高い新幹線代を払い、日帰りで帰宅。

知人は完全に信じているようで、未来の話に目を輝かせていた。
私はこのオーナーと集まっている人間に違和感を覚えながらも、あれよあれよと3口登録させられてしまった....。

それからは、毎月3万円の買い物生活。
1年半はやっていただろうか。
しかし、心の中の自分が「何か違う。早く辞めろ。」と言い続け、ある時私はその知人とケンカ別れする覚悟で辞めます宣言をし、解約手続きも行ってしまった。
知人は「ブレてる。」とか「早まるな。」等と言ってきたが、その直後にその会社はコンプライアンスの関係で営業停止となったのだ。
そのお陰で様々な詐欺をしてきた情報が表に出た。


少しはお金が戻ってくるだろうかと期待したが、戻ってきたのはたったの数万円だった。


最初から友人に相談すれば良かった。
もっと調べれば良かった。
知人が騙すわけがないという先入観をなくすべきだった。

後悔先に立たず。
このことで、これからの時代の罠を身をもって体験することができた。
この出来ごとに感謝して精進..。

宇宙の話を。

最近母親と昔の話をする機会が増えた。

昔から話していたのかもしれないが、最近になって自分が聞く耳を持つようになってきたというだけか...
どちらにしても、理解できるようになってきたのだろう。


母親が話す昔話しの中に、私を妊娠してから不思議なことが起こるようになったという話がある。

母親が夜寝ていると、外が突然昼間のような明るさになり、外に出ると大きな宇宙船が我が家の屋根の上に停まっているのだそうだ。
そして、見たことのない様々な色のライトがピカピカと光っているらしい。

母はその迫力に圧倒され、ただ見とれているという夢か現実か分からないような状態になるのだが、気が付くと朝になっているのだそうだ。

これが1回ではない。

私を妊娠出産し、その後数年間はその現象が起き続けたそうだ。
母は理由が分からずその宇宙船を見る度に、監視されているような、何とも言えない感覚になったとのこと。

以前、母が私を妊娠する前に近所のお寺に毎日お願いしていた話を上げたが、そのせいで不思議なことが起きるのかと母は自分を納得させていたらしいが...
それで納得できるものなのか..。


前回上げた、私の夢の話(月が我が家の真上に停まっていて機械のアームのようなもので屋根をガッチリ掴んでいる)とリンクするものがあったので妙に引っ掛かった。


自分のルーツって?
小さい頃「かぐや姫」、「蜘蛛の糸」、「しあわせの王子」を読むと胸が苦しくなったのは何故?


そろそろ、“感受性が豊かだから”ではない何かが分かる時期になってきたのだろうか。
タイミングが来たということか。

来年は色々と自分を知る年になりそうだ。

月が我家に降りてきた。

久しぶりに綺麗で不思議で印象的な夢を見た。


辺りは夜。
犬の世話で外に出ると、大きな満月が家の屋根の上にあった。
大きさ的には直径30mくらいだろうか。
普通なら有り得ないことだが、クレーターが間近で見られたことが嬉しくてじっと見ていた。

良く見ていると不思議なことに気が付いた。
月から足場のような機械が出ていて、我が家の屋根にガシッと装着されているのだ。

何だかこのままだと何者かに連れていかれてしまう気がして恐怖を感じ、慌てて家の中に入った。

それでもやはり外が気になり、窓から見てみると、そこには宇宙のような空間が広がっていて、大きな地球のような惑星と、その回りに様々な色の小さな惑星が並んでいた。
その中で、ピンク色の惑星が地球のような惑星の周囲をくるくる回っていた。

あまりにも綺麗で眩しくて外で直接見たくなり、懲りずにまた外に出ると、月から小さなおもちゃの兵隊のようなものが降りてきていて、怖くなった私は近くに停めてあった車に乗り、少し走るとある家の近くの池の辺りまで行った。

車から降りると、惑星達は更に近くに見え、その地球のような惑星からは雫が滴り落ちていた。
直ぐ近くに雫が落ちたので、落ちた先を見てみると蛍光ピンク色(半透明)のクラゲが引っくり返っていた。
一瞬ぎょっとしたが、良く見ると可愛い顔がついていて愛嬌があったので、体制を戻してあげると直ぐ側にあった川にポチャンと入って行った。

川を覗いてみると、同じクラゲ達が沢山プカプカ浮いていて、川は蛍光ピンク色に染まり不思議な光景となっていた。

ふと、背後からも光を感じ、振り返ってみると大きなピンク色の魚の尻尾が見えた。
何故道端に魚が?と不思議に思い見に行くと、そこには同じく蛍光ピンク色の尻尾の可愛い人魚が横たわって居た。

驚いたが、寒いのではないかと思い声をかけてみた。「あのー...大丈夫ですか…」と。
すると、言葉は話さないがアイコンタクトをされ、近くに服のような布があったので着せてあげた。
人魚は布を着せると、みるみる小さな女の子に変身してしまった。

訳が分からないまま、とりあえずその人魚だった女の子から離れ、また惑星達を見た。
夢はこの辺りで終了。
目が覚めてもしばらく興奮が冷めず、誰かに言いたくてたまらなかった。


大きな月といい、綺麗な惑星達といい、一体私に何を伝えてくれているのだろう...。
来年はもしかすると、宇宙的に何かが起こる年となるのか。
楽しい年になりそうだ。

ドイツ・レホルム運動。

前回の「いりょうのはなし。」からの続き。

“人は自然本来の姿に戻らなくてはならない”

ドイツのレホルム運動はここから始まった。
「レホルム」とはドイツ語で「改善」「改革」を意味する。
つまり、レホルム運動とは、人為的に悪化した環境や生活習慣を自然本来の姿に戻すことを目指した運動である。

19世紀末に産業革命で急速にすすんだ工業化を憂慮する人々によって始められた。

産業革命は生産性を向上させる点では大きな意義があっただろうが、その一方で人々の生活環境や健康に害を与えたことも事実。

農民の多くが仕事を求めて都市部へ流れたことにより、環境の悪化が進み、過剰な肉食、添加物入り加工食品の氾濫と、「自然」とはかけ離れたものになっていった。
こうした人為的に歪められた生活に反発するかたちで同時多発的にドイツ各地で民衆によって引き起こされたのだ。

(この「同時多発的に」という所に感心した。
ドイツの国民の魂の根底に、自然に反したことはしたくないという確かな理念があるということだろう。
国の政策に踊らされない理念が。)


そして、同時期に医学や農業においても変化があった。

医学では、セバスチャン・クナイプやプリース・ニッツが現代医学に対して警笛を鳴らし、自然薬品や自然治療法による健康維持の提唱を始めたのだ。

農業においては、医師のヴェル・ベルリンによって「ベルリン健康センター」という施設が設立され、有機農法で作られた食品の販売のほか、食生活改善のアドバイスを行い、のちにこれが原型となって「レホルムハウス」というものができていった。

以後レホルム運動はレホルムハウスを拠点とし推進されていった。

レホルムハウスとは「食料品は限りなく自然に近いものを」というスローガンのもとに、厳正な検査に合格した商品だけを扱う自然食品専門店で、現在のドイツには約4,000店舗、ヨーロッパ全体では12,000店舗を超えるまでに広がっているそうだ。

この店舗数を見ると、いかに自然食品に対して意識が高いかが分かる。

このレホルムハウスで扱われている商品を「レホルム製品」というのだが、防腐剤や添加物、残留農薬物等の安全性の面でドイツの法令で定められた基準よりもさらに厳しい規格基準が定められ、この厳しい基準を満たした製品のみにレホルム製品の証である「ノイホルム・マーク」をつけることが許されているそうだ。

このノイホルム・マークはドイツの人々には広く知られていて消費者の商品選択を容易にしてくれているそうだ。

ドイツでは、このように自然薬品、機能性食品、自然食品、自然化粧品に関する法基準が整備されている。
つまり、それだけ消費者(国民)に高品質で安全な商品を提供するという意識が高いということだ。
これ、日本はどうだろう。
真逆ではないだろうか。

税金に保険料等、恐ろしい金額を毎月国に喝上げされ、手取りが少ないから更に仕事をする。
仕事に追われ、時間までをも喝上げされるから食事や家事に使う時間が無くなる。
食事に使える時間なんて僅かなのだ。
となると、簡単に済ませることができるコンビニやチェーン店で食事をする。
その簡単な食事には見た目を綺麗に見せ、直ぐに腐らせない為の添加物だらけなのだ。
これで、添加物まみれの病気人間の出来上がり。
この世の中が変わらない限り、病院のお客様は途切れることはないでしょう....。


このように、様々な国のやり方や矛盾にもどかしくなるが、本来の日本人なら知っているはずなのだ。
魂の奥底に眠っているだけで、理念は絶対にある。
そして薄々気が付いているはず。
ドイツの人々のように。

日本の未来は明るく素晴らしいものになる。
今のカオスを乗り越えて。
どうか、国単位で目覚めていけますように。