40代、われは主婦なり伸びんとす。

感受性やや強め40代のゆるらかブログ。

小さい頃のあれこれ。

よく母は私の小さい頃の話をする。

二人目の子どもをなかなか授からなかった両親は、
家の近くにある地元では子育てで有名なお寺へ通い、
ずっと神様にお願いしていたそうだ。

すると、しばらくして無事に授かることができ、
さらには御開帳の日(普段は閉じられている扉が開き、神様の姿を見る事ができる日)に誕生するとい
う奇跡が起きたのだと。


そのお蔭か、私は赤ちゃんの頃から穏やかな子で、
よく眠り、ほとんど泣きもせず、我が儘も言わない
何とも育てやすい子だったらしい。


少し大きくなり自我が芽生えてきても、同じ年代
の子が欲しがるようなオモチャには見向きもせず、
家にある白い紙や広告の裏等に絵を描いたり、ハ
サミやテープやノリを駆使して何かを作って黙々
と遊んでいたようだ。


この話をしていると、母は必ず
「張り合いの無い子だった」だの
「段々悪くなっていったから今は違う」だの
ちょいちょい悪口を挟む。


そして幼稚園も年長さんになってくると、あまり
にも欲がないし穏やかなので、心配されるように
なった。
このままでは小学校に入ったらやっていけないと
心配した近所のおじちゃんに「バカ」とか「じじい」
とか汚い言葉を使う練習をさせられた。
今思い出してもシュールすぎる光景。

しかし汚い言葉は苦痛でしかなく、笑えもしない
ので、使うことはないままだった。



その頃、前回の記事「秋なのに怖い?話。」で書い
た、恐怖体験をする。
この体験が、後の私の人生の教訓となり、人格形成
にかなりの影響を与えるようになる。

何か人と違ったり、目立つようなことをしたり、
羨ましいと思われると...

「嫌な目にあうのだ!!」と。


僅かながらたくましくなった私が小学校に上がる
頃になると、また色々と不思議なことが起こるよ
うになった。



親戚や近所の人が家に遊びに来た時、大抵の人は
皆優しく穏やかな暖かい雰囲気がするのだが、た
まに、話す言葉と伝わってくる雰囲気がチグハグ
な人が居た。
顔は優しく笑っているのに、伝わってくるものは
ズーンと重いのだ。
これが何なのか分からず、母に「あの人は何か嫌だ」
と訴えるのが精一杯だった。

母は「何言ってるの。」と相手にもしてくれなかったが、数日~数ヵ月経った頃に、その嫌な雰囲気の持
ち主は何かしらの理由で疎遠になったり、悪い話を
聞いたりするのだ。

そんなことが何回も続くと、母も私の言葉に耳を
傾けるようになった。
それからは、私が「何か嫌なんだ..」と言った相手は
家に呼ぶこともなくなったし、そもそも母自信も何
か違和感を感じていたことが分かった。



小学校に上がり色んな先生や子ども達と関わるよう
になったが、この私の感覚はどんな状況でも発揮さ
れた。
なので、誰よりも早く他人の異変に気づくことがで
きた。

家族や仲の良い友人なら会った瞬間に気づくことは
序の口で、体調が悪いと聞くと、同情してしまう為
か自分まで同じ症状になり、相手は楽になっている
ということもしばしばあった。


小学校低学年~中学年の頃は、この感覚のせいで
他人と居ると疲れてしまうことに気づき、放課後、
友人から遊ぼうと10回誘われるうちの5回は断り、
一人で自由に過ごしていた。

家が小学校から近かったのもあり、小学校までテク
テク歩いていき、何をするでもなく道草しながら
またテクテク歩いて帰宅する。

風が好きで、気持ちの良い風の吹く日は、ずっと
外で風にあたり、「風って良い匂いだなぁ..」なんて
思いながら雲を見ていることもあった。
きっとこれは自分なりにストレス発散をしていたの
だろう。


そして、このテクテク道中にも不思議なことは起こ
る。
有りすぎて忘れてしまったことの方が多いが、中で
も真っ白い体に赤い目をした大きな蛇に出会ったの
は衝撃だった。

突然目の前にニョロニョロ現れ、こっちを見つめて
きた。
私は誰にでも挨拶をするという習慣があったので、
その白蛇さんにも「こんにちはー」と挨拶した。
すると、白蛇さんは目線をそらして茂みに入って
いった。

家に帰宅してから、「食べられなくて良かった...」
とホッとしたのを覚えている。


テクテクお散歩も慣れてくると冒険がしたくなる。
小学校へ行く近道を友人に教わり、チャレンジして
みようとワクワクしていた。

その道はある施設の駐車場を突っ切り、施設と道の
境目となっている大人の背丈くらいの高さのフェン
スをよじ登り、反対側へ移動したら、ある程度まで
降りて、そこから地面目掛けてジャンプして着地す
るという危険を伴う近道だった。

時は来た。
施設の駐車場を突っ切り、フェンスをよじ登り、反
対側へ移動。
よし、オッケイ。次は慎重にある程度まで降りたら
地面目掛けてジャーンプ!!
と思った瞬間にフェンスから手が離れて体が後ろに
倒れて落ちて行く。

あ、死んじゃう....!!

と思った瞬間近くに植えてあった木の枝や葉が私を
支えた。そして、ふわっと着地。

あれ....? 今...何が起きた.....?

頭が真っ白になったが、段々状況が分かってくる。
死にかけたんだと心臓がバクバクし始め泣きたく
なってきた。
でも、直ぐに違和感を感じ冷静になった。
植木は、私が落ちた場所よりも離れた場所に植えて
あるのだ。
確かに支えられた感触が体に残っている。
そうなると、枝や葉が瞬時に伸びて、私を支えたと しか思えない..。

私は植木さんに感謝の言葉を伝え、もうこの近道は
しないと心に決めてダッシュで帰宅した。

帰宅後、母や兄にこの話をしたら、
「たまたまでしょ。」とか「運動音痴だな。」などと
言われ流された。

次の日、またあの植木にありがとうを伝えに言った。
心の優しい友人は信じてくれて、一緒に隣でナムナ
ムと拝んでくれた。


私は、こんな具合に日常的に不思議なことを体験し
ながら義務教育を終えた。


また思い出したら書こう。笑