40代、われは主婦なり伸びんとす。

感受性やや強め40代のゆるらかブログ。

両親とのあれこれ。

ここの所、過去を振り替えることが多いので、今回は両親とのあれこれを書こう。


私は30年以上両親と暮らしている。
(2~3年だけ出たことがある)
が、決して仲良し親子ではない。


私は物心ついた頃から、父親が大の苦手だった。
元々父親は気性が激しく直ぐにカッとなり大声を出すし、子どもの私にも対等にケンカ口調で話しかけてくるようなタイプで、声、話し方、目つき、態度、タバコの臭い...
理由は分からなかったが、愛情を1ミリも感じることができず、とにかく好きな所が1つも無かった。
【視える人曰く、前世で罪の無い私を殺した人らしい。】

その反対に、母親は好きだった。
理想的な絵に描いたような優しい母親とは正反対の気性の激しい寅年女だが、正直で勘も鋭く、面倒なことや曲がったことが嫌いな男勝りな人だ。
そんな性格と裏腹に、手先が器用で、洋服やバック、小物などを手作りで作ってくれ、友人の分まで作ってくれたり、バザーに出したりする程だった。
【視える人曰く、前世では嫌々だが父親の部下だったらしい。】

そんな両親はよく言い争いをしていた。
内容は些細な事なのだが、お互いに激しい気性のため、物が飛び交うこともしばしばあった。
よくあることではあったが、感受性の強い私は子どもながらに心配になり、常に2人の顔色を伺い、ケンカになったら仲裁に入るようになった。

仲裁と言っても、わざとふざけてバカなことをしたり、物を落としたり、2人の気をそらすだけだが。

兄は頭が良かったので、嫌な空気を感じると、直ぐに自分の部屋に避難していた。
兄とは仲良しだったが、その逃げてしまう所はズルイなと感じていた。
【視える人曰く、前世で父親の部下だったが、中でも良い人だったらしい。】


1番嫌だったのは、休みの日の食事の時間。

平日は父親が仕事で朝早く出掛けて夜遅く帰宅する生活だったので、顔を合わせる時間はほとんど無いのだが、土日や祝日は家に居るので嫌でも顔を合わせることになる。
食事を別々になんていう自由はなかったので、仕方なく茶の間のテーブルで一緒に食事をしていた。
父親が居ないからと、父親の席に座っていると、たまたま早く帰宅した父親に「どけっ」と冷たく低い声で怒鳴られる。こんなの序の口。

食事の席で、決まって父親はTV番組にケチをつける。「こんなの、どこが良いんだ。」とか「この俳優は顔が気持ち悪いから出なければ良い。」とか、つけられる限りのケチをつける。

私はその度にご飯が進まなくなり、母親に話を振って気分を紛らそうとした。
しかし、私の学校の話にまで父親はケチをつけてくるのだ。
テストで良い点を取った話や、誉められた話をすると決まってこう言う。
「1番じゃなきゃ意味がない。バカだな。」と。
嬉しかった気持ちは、その一言でガラガラと崩れ、自分はバカなのかと刷り込まれていった。

そして小学校高学年頃になると、私の仲良しの友人についてまでケチをつけるようになった。
自分のことだけでなく、友人のことまで言ってくる父親に、世の中にこんな悪い人間は居てはいけないだろうと感じていた。

家に居ると嫌な気持ちになるので、学校や友人は私の救いであり、癒しの場所だった。
とにかく、優しく、対等に扱ってくれるだけで幸せを感じた。


そんな子ども時代を過ごしていたからか、
男=悪
という式が私の中で固まってしまい、基本的に男の人が苦手になった。
父親と似たような目付きや態度の人間は、大人だろうが子どもだろうが嫌悪感を覚え、排除したい感覚にさえなるようになった。
世の中が女の人だけなら良いのにと本気で思っていた。


しかし、中学生になると周りの女子が色づき始め、誰が好きだとか愛だ恋だと騒ぎ始めた。
私はその波に全くついていけず理解もできないでいたが、流石に「好きな人居ない」とも言っていられなくなった。
正直恋という感情が分からず、誰を応援したいかだけで生徒会長だった先輩を好きなことにした。
が、心の中ではどうでも良かった。
同級生に告白されたこともあったが、被せ気味にお断りした。

女子の間ではジャニーズで誰が好きかも大事な話題なのだが、恋愛感情は全くなかったので困っていたら、KinKi Kidsという、関西弁を話す面白いグループが出てきたので、応援するようになった。
トークを聞きたいという感情だった。

と、男性に対しての感情が欠落したまま高校生になり、さらに周りは恋愛モードになった。
中学なら好きだとか騒いでいるだけで済んだのに、今度は付き合わなければならない。

さぁ、どうする。
波に乗り遅れてしまう。
誰かを好きで追いかけてるフリをするにも、皆が野蛮に見えて対象が見つからない。
中でも性格の良い人を探そうとしていたが、同級生にも先輩にも見当たらなかった。
そんな時、同級生の中の真面目なイケメンが私を好きだという噂が流れた。

そのイケメンを狙っていた女子A美から、
「私、○○(イケメン)のこと小学生の時からずっと好きだったの。結婚したいの。応援してくれる?」と言われた。
先手を打ってきたのが直ぐに分かったし、必死なのも伝わってきたから、全力で応援する意思を伝えた。

元々、男性に対して負の感情しかなかったのに、恋愛が絡むと面倒ごとに巻き込まれることが分かり、更に嫌になっていった。

他校の進学校の同級生や年上ならどうかと、紹介されて試しに付き合ってみたりしたが、嫌な部分が直ぐに見えてしまって関係が浅いうちにサヨナラした。

しかし、独り身で居ると紹介話や飲み会等、更に面倒なことに巻き込まれるので、嫌になった私は例のA美から性格が良いと紹介された年上の人と付き合うことになった。

この時も恋愛感情はなかったものの、周りから合コンだの何だのに誘われるのが煩わしくて、特定の人を作ることにした。

そして色んな煩わしさから逃げるため、一緒に居ても害がないことや、相手の母親が良い人だったという理由で早々に結婚を決めてしまった。

しかし、趣味も行きたい場所も見たい物も違う、とにかく共通点が少ない、子育てについての考えも真逆。
それでも私なんかと結婚してくれるような物好きは今後現れないのではないかという不安から、全てを妥協して逃げ道として選んだ。

結果、結婚したら害だらけだったので、かなり早い段階で私は心のシャッターをガラガラと下ろすことにしたが...。


しかし、ここまで父親の影響で人生が左右されるのだなぁ....と、身を持って経験してきた。

そんなに嫌いなはずの父親と一緒に住むことを決めたのは、小さい時に刷り込まれた「自分が仲裁に入らなくちゃ」という感情が残っていたからかもしれない。
どんなに父親が嫌いでも、その当時は、母親を守らなければという理由で離れる気持ちにはなれなかった。

しかし、20代はこの生活が辛過ぎて良く1人になると泣いていた。
家では、子どもだけが癒しで、大人達の色んな嫌なことと戦わなければならなかったので、精神世界系の本を沢山読んで悟ろうとしていた。

父親は私に子どもが産まれてから少しずつ丸くなってきたが、やはり根本は変わらない。
私が友人と会うのも同窓会に行くのも子どもが居るんだからと基本NGで、誘われたと言っただけで大騒ぎしていたので、子どもが産まれてから10年間は、会いに来てくれる友人と自宅で会うくらいしかキラキラした世界と関わることがなかった。
仕事もこの父親の考えから、短い時間のみのパートしか許されなかった。


30才になる頃から、私の仕事がフルタイムになり、外の世界と関わることで自分の軸が出来始め、この父親とのしがらみと少しずつ向き合うことができるようになった。
「本当の自分の気持ち」というものに目を向けるようになっていったのだ。

自分に正直に生きたい感情が沸々と沸き上がってきて、自分の意見を両親に伝える機会も増えた。
最初は両親も聞く耳を持たなかったが、段々と私に意見を求めてきたり、頼るようになった。

仕事のお陰で、様々な出会いがあり、本当の自分が求めていることが明確になってきた。
自分の人生は自分で決めるんだ!!と自分自身に許可をしたのかもしれない。


鈍感で何があっても気にしない人間なら自由に伸び伸びとやってこられたかもしれないが、感受性が強い故に、こんな風な生き方になっている。

誰も誉めてくれないし、表彰されることもない。
しかし、頑張ってるな~自分!!
と自分で誉めてあげたいなと思う今日この頃。
父親との関係が良い方に変化してきたためか、
男=悪 というマイナスな考えも、ここ数年で「良い人も居るじゃん!!」とプラスに変化した。


しかし、両親とのあれこれ、暗っ(笑)